2011/07/05

【書評】ボローニャ紀行 井上ひさし著 (Mai Takashima)

本書のタイトルである「ボローニャ紀行」を見て何を連想するだろう。タイトルと表紙の赤煉瓦の街並の写真から、単なるイタリア観光日記だと思う人もいるかもしれない。しかし本書では観光地としてのボローニャではなく、そこで暮らす人々の生活あるいは精神に焦点が当てられている。著者、井上ひさしが2週間のボローニャでの滞在をとおして感じた、彼らの精神についてがエッセー風に読みやすく書かれている。

この本は自分と同じ街に生きる人のために働く、日常を大事にするというボローニャ精神の紹介をとおして私たちが当然のように受けて止めている現代社会、そのあり方について振りかえらせてくれる。

ボローニャ精神を代表する1つとして、著者は”社会的協同組合”をあげている。市民の生活は、周りを見渡し助けを求めている人を見つければ”協同組合”という形を作り、助けていくことの繰り返しで成り立っている。
主体性をもった行動をするために、市民たちは幼いころから自分の主張を伝え貫く力を養われている。個人的には、「企業の正規雇用回避が原因で職のない人々のために、無料同然で衣住食を提供してくれる施設に関する新聞を作る」というエピソードが印象的であった。

またボローニャ精神の2つ目にシェアの精神がある。「街の動力」より、世界一の充塡包装システム機械で有名なIMA社が、その主力技術を独占ではなく他社と共有することで今ではボローニャをパッケージバレーと呼ばれるまでに経済発展させた話や、「山の上の少年コック」では、使わなくなった古い公共の建物や土地を無償で共有することで、障害も持つ子供たちの新しい教育現場として提供するなど、日本ではなかなか耳にしない話が多く興味深く感じた。

ボローニャ精神の特徴はその引き継がれ方にあると思う。人々は精神を教えられるのではなく体感することで受け継いでゆく。それは自分が相手を助けることで助けられたり、古い建物をとおして自分が過去と未来をつなぐ役割を背負っていると気づいたり、また芸術作品をとおして感じるだったりと様々だ。
「演劇の役割」では、あるローマ喜劇役者が中世を舞台に中央政府や財界の偉い人をからかうような笑劇を通して、市民らに「国に頼らず自分たちの目の前の居場所・人を大事にしよう」というボローニャ精神を浸透させたと語られている。鑑賞や娯楽としてだけではなく、思想の継承や伝達としての芸術の存在になぜイタリアの人々が芸術を重んじているのかを垣間見たよう気がした。

今回本書を読むのにと並行して、大竹文雄著による「競争と公平感」という本も読んだ。著者は、日本人が市場競争に強く賛同しない理由は、学校教育の中で市場競争のメリットについて説かれることが少ないためであると指摘する。と同時に「市場で厳しく競争して、国全体が豊かになりその豊かさを再分配政策で全員に分け与えることで公平性を図ることができる」と主張している。この2冊の本をとおして「人々が幸せになるため」の手段として競争のない社会、競争のある社会と正反対のアプローチがあることを知ったが、そもそも私自身、市場経済について知らないことを改めて痛感させられた。また私個人としては、今後日本がいずれの方針で進むにせよ、学校教育が鍵になってくるのではないかと思う。

井上ひさしは近年の企業の人件費削減、貧困層の固定、少子化など社会が抱える問題は日本もイタリアも類似しているという。「ボローニャ紀行」の赤煉瓦の街並の写真は、これこそがボローニャの人々の働く意味であるという著者の思いが込められているのかもしれない。

(Mai Takashima)

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